2010年12月27日月曜日

コンピテンシーとチーム・マネジメントの心理学

[タイトル]
朝倉実践心理学講座6 コンピテンシーとチーム・マネジメントの心理学

[著者]
編著者 山口裕幸

[出版社]
朝倉書房

[要約・感想]
全体としては、「コンピテンシーの概念の解説」、「チームというものの概念の解説」、「実務場面でのコンピテンシーの使い方」や「実務場面でのチームの設計方法」の4つに分類される.

とりあえず、「コンピテンシー」というものが、「その職務を遂行する上で求められる人物像」を表している.要するに「あるべき姿」である、ということは何度も解説された.

チームワークの面では、正直、どういうチームワークがよいのか、がよくわからない.勿論、そうだからこそ、今なお研究され続けているのだろう.

チームコンピテンシーという新しい概念も紹介されている.

先にアップしたコンピテンシー・ラーニングの本よりもよくわかる.

2010年12月3日金曜日

逸脱とコントロールの社会学

[タイトル]
逸脱とコントロールの社会学

[著者]
宝月 誠

[出版社] 
有斐閣

[出版年]
2004年5月

[ノートor原著情報]

[要約 感想]
教科書的要素と著者の提案する説についての論文的要素と、著者の(理論的だが)エッセイ的要素の3つが組み合わさった論文。

全体の構成として、
 (1)「そもそも『逸脱』とは何か(第2章)」、
 (2)「人はなぜ逸脱するのか(第3章)」、
 (3)「逸脱する・しないの社会的制御(コントロール)はどのようなもので、どのように遂行されているのか(第4章)」
という基本的疑問に対して、
まず、
  「構造論」、「相互作用論」、「行為者論」
の3つの視点からの研究を整理し、それぞれの立場でどのようなこと言われているのかを俯瞰的に述べている。
次いで、
著者が提唱する
  「社会的世界論」
に基づいて、それらを説明する論述を行なっている。
その後、
特に「市場社会」という現在の資本主義・自由主義・市場主義社会における
組織的逸脱について、理論に依拠しながら、独自の見解を述べている。

読んでいる最中に付箋を貼った点を以下に抜粋する。
p.29
「相互作用を通じて、対象についてのこのような共有化された意味が構成されるわけであるが、その意味は当初は一時的な同意にもとづくだけのもので、持続性に乏しく、相互作用に参加した人々(※要するにその場・その状況に居合わせた人)の世界だけで共有されたものにとどまる。」

要するに、ルールが無い状態では、共有された状況の定義・意味は、あくまでその場のみのものとなり、揮発してしまう。同じメンバが居合わさせた場合には定義・意味は呼び起こせるかもしれないが、それとて忘却される可能性が高い。そこで、ルールというものを発明し、状況の定義を文章に表した。ルールを作ることによって、状況の意味づけが脱状況化され、可搬化されることとなり、「類似」しているが「別の状況」において再びその定義を呼び起こせることとなる。
(※ルールは手順を記述するものであるが、その裏側で状況の定義・意味が暗黙的に記述されている(「根底に流れている」という表記の方が正確か))
ルールというものの成立過程を進化論的に捉えている。なるほどなぁ〜と思った。

p.62
「事件やもめごとへの対応がもっぱら法に委ねられ、専門家の手ですべて処理され、当事者たちが関与する余地が少ないために、当事者たちは逸脱に関与してもあまり積みの意識を感じなくなる、という点に向けられる。・・・過剰に法に依存するのではなくて、自分達の手で問題に対応することの重要性が示される。・・・究極的には制度は・・・自らの行為をコントロールするときに安定する。」

pp.63-64
「法が現実の生活様式からすれば時代遅れと思われたり、逆に理想主義的で時代を先取りしすぎている場合には、多くの人々は官憲も含めて法の執行を回避しようとする。やむを得ず法を執行する場合でも、それは名目的なものにとどまる。・・・法は存在していても、それに違反した人に対しては実質的なコントロールは加えられない。」

p.97
「<重要な他者からの否定的な反作用に直面した逸脱者が、自分自身と相互作用し、逸脱者としてのアイデンティティを強化したときに、逸脱は常習化しやすい>」

P.107
「構造論からとくに学ぶべきことは、逸脱は制度や社会構造の中に埋め込まれているものであるということである。相互作用論、特にレイベリング理論から学ぶべきことは、逸脱は単に逸脱する側の問題というよりも反作用する側の行為を理解しなくてはならない点である。さらに行為者論からは行為者が逸脱に付与している主観的な意味を理解することが、逸脱を理解するうえで重要である。」

この3つの視点、特に最後の「行為者が主観的にどのように世界が見えていて、どのような意味をそれに与えているか」を理解することが重要。そのための方法としてエスノメソドロジーがある。




著者が提唱する「社会的世界論」の命題は以下の通り。
≪社会的世界論の基本的な命題≫P.33
命題1−1 人々の社会生活は社会的世界の中で営まれる。
命題1−2 社会的世界は人々が相互作用を通じて構成したものであるが、その構成要素には行為者たちとの相互作用のほかに、状況の定義・社会関係・資源・行為(活動)を含む。
命題1−3 社会的世界は制度化されることで、共有された意味にもとづいて多数の行為者達が特定の行為・活動を組織的に、大規模に、かつ継続的に行なうことを可能にし、こうした活動によって生を営み、資源を蓄積する。
命題1−4 社会的世界は常に制度にしたがって遂行されるとは限らず、脱制度化され、制度外の行為・活動が生じるようになる。
命題1−5 社会的世界はこうした事態に対処し、状況をコントロールするための行為や活動を行なう。
命題1−6 社会的世界は資源の蓄積と社会的コントロールを通じて存続し、発展していく。コントロールしだいで、社会的世界は衰退も発展もする。

≪逸脱の定義≫P.49
命題2−1 社会的世界にはルールが生まれ、それに反した行為は逸脱と見なされる。
命題2−2 社会的世界は、行為者・相互作用・状況の定義・社会関係・資源・行為活動に関するルールを基本的なものとして伴っている。
命題2−3 社会的世界の行為者達は各自の利害・関心・価値に適したルールを、社会のルールにしようとする。
命題2−4 社会的世界でルールが安定するためには、ルールは制度として、法やフォーマルなコントロールで支えられる必要がある。
命題2−5 ルールを維持するには、法やフォーマル・コントロールだけでなく、インフォーマル・コントロールやセルフ・コントロールが重要な役割を果たしている。
命題2−6 制度化されたルールも、制度化された操作コードの暴露を契機とする改革運動、道徳的十字軍戦士(道徳的事業家)の運動、さらに「一般化された他者の態度」の変化などにつれて、変動していく。

≪逸脱の生成過程の一般命題≫
命題3−1 逸脱は社会生活の中から生まれ、特定の社会的世界を構成し、その中で遂行される。
命題3−2 社会的世界において、行為者が問題状況の解決や新たな経験や安全を求めて行為する際に、ルール・法を無視することもやむを得ない、可能である、あるいは、たいしたことではない、と「状況の定義」をするときに逸脱は生じやすい。
命題3−3 行為者への社会的コントロールの作用が弱い社会的世界ほど、逸脱行為は現実化されやすい。
命題3−4 ひとたび逸脱を経験した行為者が、逸脱を「問題解決の手っ取り早い手段」や「魅力」的なことと肯定的に意味づけるようになると、それがさらなる逸脱への動機付けになり、逸脱は継続され易くなる。
命題3−5 逸脱を継続し、それを生活の一部に組み入れるには、社会的世界そのものが逸脱を行いやすいスタイルに編成される必要がある。
命題3−6 逸脱を伴う社会的世界も買いたいに直面したり、放棄を余儀なくされる事態が起こる。
命題3−7 コントロールの介入を受けた逸脱者が、それまでの生活を放棄し、新たな社会的世界をどこまで再構築できるかは、主に付与されたラベルの強さと利用可能な社会関係と資源によって決まってくる。

≪コントロール≫
命題4−1 社会的世界は制度的コントロールで維持される。
命題4−2 制度的コントロールは相互作用レベルのコントロールを通じて実践される。
命題4−3 社会的世界は革新的コントロールを通じて変動していく。
命題4−4 社会生活が発展してくると、コントロールはフォーマルなものとなり、より高度なものに専門分化していく。
命題4−5 フォーマルなコントロールは社会的世界の構成員すべてに及ぶことを原則としているが、権力を有する集団や独自の文化を有する集団になるほど、フォーマルなコントロールは無効化される傾向がある。
命題4−6 どのようなコントロールのスタイルが社会的世界において有力になったり採用されるようになるのかは、その世界が直面している「問題状況」に特定のコントロール・スタイルが「適切な対処」であるということがアピールされ、それへの「支持」が有力者たちから得られることによって決まってくる。
命題4−7 フォーマルなコントロール以外に、いずれの集団や組織でもインフォーマルなコントロールを有している。
命題4−8 インフォーマルなコントロールは恣意的であると思われるが、その行使にはそれなりのパターンがある。
命題4−9 社会的世界の内部で、既存の制度やコントロールではもはや問題状況として認識された逸脱の現状に対応できないと判断されたときに、革新的コントロールが始動する。
命題4−10 社会的世界においてコントロールが効果的になるのは次のような場合である。すなわち、コントロールの目的が明確で、コントロールに対する指示が多くの人々からあり、このトロールを行なうのに必要な資源が備わっているときである。
命題4−11 コントロールを被る側から見た場合には、コントロールの効果が高いのは、加えられたコントロールを契機にしてそれまでの生活の実質的な転換の必要性を感じるときである。
命題4−12 社会的世界ではその実際の効果が無くとも、コントロールが実施されていることが多い。それは惰性によることも、多くの人が実態を知らずに効果があると思い込んでいる場合もあるが、それ以外にもコントロールに対する人々のアンビバレントな感情が関連している。
命題4−13 人々はいつもコントロールの効果に無関心でいるわけではない。犯罪や事件を契機にして人々が不安や機器を感じ、さらに従来のコントロールでは効果の無いことが明らかになってくると、効果の無いコントロールを批判し、それを効果的なものにせよという要求が高まってくる。


 

2010年12月1日水曜日

セレクション社会心理学4 チームワークの心理学―よりよい集団作りを目指して

[タイトル]セレクション社会心理学4 チームワークの心理学―よりよい集団作りを目指して

[著者] 山口 裕幸

[出版社] サイエンス社

[出版年]  2008年7月

[ノートor原著情報]

[要約 感想]
全般にチームワークの教科書という書き方。
総説。
ただ、
特にP.65 から実際に山口先生や三沢さんたちが看護師を対象に行なったチームワークの測定研究の研究の方法、方法の背後にある考えた方(哲学)が記述されていて、それは参考になる。

また、リーダーシップというものについて、P.88に改めて考えさせられる記述がある。
「一般に、組織の管理者やチームリーダーが発揮すべきものとしてリーダーシップを捉えがちですが、メンバーの誰であっても、チームの目標が達成できるように周囲のメンバーに促進的な影響を及ぼすとき、それはリーダーシップなのです。新入社員が、元気よく行動したり、笑いを誘ったりすることも、それが他のメンバーの励みになり、チームの目標達成を促進すれば、リーダーシップを発揮したといえるのです。」
なるほどな~、、、と思う。

2010年11月15日月曜日

コンピテンシーラーニング

[タイトル]
コンピテンシーラーニング

[著者]
監修:古川久敬、 編著:JMAMコンピテンシー研究会

[出版社]
日本能率協会マネジメントセンター

[要約・感想]
全体に、「コンピテンシー」という考え方を「布教」するための本という感じ。
「コンピテンシー」という構成概念が今ひとつ腑に落ちないのだが、
とりあえず、「好業績を挙げる人が発揮している職務遂行能力」という定義か。

実証研究の段は中々面白い。

たしかに「有能な人」と「そうでない人」というのは何となく印象でわかる。
何で分るのか分らないが、とりあえず「分る」ということが実証されていることは面白い。

不満点としては、「ではコンピテンシーを開発するためには」という疑問には何も解が与えられていない点。
一体どうすればコンピテンシーを高めることができるのか?

2010年11月14日日曜日

ヒューマンファクターと事故防止

[タイトル]
ヒューマンファクターと事故防止

[著者]
著:エリック・ホルナゲル
監訳:小松原明哲
訳:清川和宏 弘津祐子 松井裕子 作田博 氏田博士

[出版社]
海文堂

[出版年]
2006年3月25日
[ノートor原著情報]
Eric Hollnagel, Barriers and Accident Prevention, Ashgate Publishing Limited, 2006.

[要約・感想]
事故のモデルが事故分析やリスク分析の根底にある。
3つのモデル。連続事故モデル、疫学的事故モデル、相発的事故モデル。
連続事故:
具体的な失敗行動・逸脱行動の時系列の中に、原因を見出していくもの。いわば、行動ベース。
疫学的:
失敗行動・逸脱の根元に在る潜在原因を探し出すもの。m-Shellなどはこれといえよう。
相発的:
ここの行動は、失敗・成功というモードがあるわけではなく、あくまで人であろうと機械であろうと組織であろうとそこには根本的な「変動」というものが存在する。特に人においてはETTOの原理から。その変動が共鳴を起こしてしまうことによって事故が起こる、という考え方。関係性の中に事故が存在するというもの。

この本では、これら3つの優劣を論じているというものではない。あくまで状況に応じて適宜使い分けるべき。ただ、オリジナルなものとして3つ目の相発モデルを提供し、それを理論的に説明している。

その理論は、ETTO(Efficiency Thoroghness Trade OFF)の原理、機能共鳴と変動(入出力の揺らぎ、働きの揺らぎ)、この観点に基づく事故防止の考え方、FRAM(Functional Resonance Accident Model)表現(※)、FRAMネットワークを用いた変動の起こりえる可能性の検討とそれによる共鳴や事故への発展プロセスの検討、となっていく。

※6角形の各頂点をInput、Time(機能実行のために与えられている時間)、Control(機能を制御するもの)、Output、Resource(機能を実行するための資源)、Precondition(機能が実際に働くための事前条件)とし、6角形の中にその機能を描く。そして、その六角形の機能パーツを繋ぎ合わせていくことによって、より大きな機能、イベントを描く。

[感想]
訳がこなれていない箇所が何箇所があり、原著を読みたいなぁと思った。
非常に勉強になる。レジリエンス・エンジニアリングの考え方の基本が詰まっている。

2010年10月20日水曜日

「いい会社」とは何か

[タイトル]
「いい会社」とは何か

[著者]
小野 泉、古野 庸一

[出版社]
講談社

[出版年]
2010年7月20日

[ノートor原著情報]


[要約]
「組織と個人の信頼関係」を軸に説得力のある論説を展開した本

まず会社と従業員との関係に関しての歴史的経緯を、バブル前、バブル後、最近、というのを軸に展望している。

その後、「働きがい」に関しての理論を展望した後、いわゆる「業績が良い会社」や「長寿企業」に共通して言えることとして、「組織の価値観・目標・理念が明確で、実際の組織経営に於いてもそれをぶらさない」ことや「個々の従業員を厳しくも暖かく接し、要するに一人一人を大切にして向き合っている」ことがあると主張している。

その後、企業の社会的責任や存在意義について、これからますますその視点を強く意識した組織経営が求められること、最近の若手労働者の価値観は社会的意義を感じられるかどうかを非常に重視してそれがモチベーションにも影響していることを主張している。

そして、「組織と個人の信頼関係」を築くためには、個々の職場での信頼関係の構築が重要で、上司と部下の相互理解が深まるようなコミュニケーションが行なわれることが重要である、と述べている。具体的には、
(1)ややもすると結局上司の価値観の「押付け」と部下が捉えてしまうようなコミュニケーション(「ファクト」と「ロジック」だけでものを見たり、語ったり)となることが多いが、そうではなく、
(2)上司が部下の感情にセンシティブになって、今、目の前にいる相手(部下)の口から出た言葉の裏側に部下がどのような感情を込めているのか、なぜそのような感情を抱いているのか、さらには、
(3)メンバがどのような知識、スキル、志向、スタンス、動機、価値観を持っているかかを探り、それを元に、
(4)部下の話を理解すると共に、部下に対して自分の思いや仕事の意義が伝わるように「語り掛けていく」ことが大切である、
と述べている。

最後に、今後10年から15年間に顕在化しうる組織の問題を展望している。具体的には、(1)高齢化のさらなる進展と団塊Jr.世代の中高年化によるポスト不足、言い換えればキャリア開発を如何に進めるか、という問題と、(2)メンバの非正規化の進展、要するに雇用の更なる流動化の進展の中でメンバへの自律感喚起や権限委譲などの個人として十分に独立した上で、組織と「対等」の関係を築き上げていかなければならないという問題を挙げている。

[感想]
「働きがい」という言葉をだしているが、それを「仕事の意味、社会にとっての重要性」という観点で捉えて論理を展開している本。
論文ではないため、ところどころ教条的な書き方が見受けられるが、数多くの企業のコンサルティングやヒアリングを通じて獲た、「生の声」をベースに議論を展開しているので、非常に説得力がある。

非常に色々な具財が詰まっていて、新書の割りには強持ての本。ただ、ポイントは、「組織と個人の信頼関係の構築には、職場での上司と部下との信頼関係が基本であり、上司が部下と人として向かい合うことが大切」という点。

フレーズ的には、
p.221の「そもそも管理職は、一つの職種である」や「マネジャーに求められるのは、教えるのが上手であること、人の持ち味をうまく発見できること、人の持ち味を引き出すのがうまいこと、持ち味に応じた仕事の割り当てができること・・・」という辺り、さらには、p.225の「管理職に特権階級的な意識があれば、それを解消させていくことが必要である。野球やサッカーでは、主役はプレーをしている選手である。監督は作戦を立てたり、どの選手を使うかどうかを決めたり、選手を励ましたり、教育することは出来るが、試合をするのは選手である」あたりは、「管理職」というものへの「憧れ」は時代遅れの考え方であり、原理的に考えれば、優劣がつくものではないということを指していて、良い言明だと感じた。

2010年10月18日月曜日

音楽で逢いましょう―忘れられぬ人、街、味への讃歌

[タイトル]
音楽で逢いましょう―忘れられぬ人、街、味への讃歌

[著者]
山本 益博

[出版社]
株式会社音楽之友社

[出版年]
2002年4月30日

[ノートor原著情報]


[コメント]
食の世界旅と音楽に関するエッセイ。雑誌「音楽の友」の連載されている(されていた?)エッセイを集めたもの。趣味で借りた本だが、案外色々と参考になる話が載ってた。

1.(p.87)(ある天才的なフランス料理のコックのジョエル・ロブションという人に対して、著者が行った問答)
・・・
 そのロブションに、かつて「優れた料理人とは?」という質問をぶつけたことがある。
 「頭で考えたことを手ですべからく表現できる人、頭が良くても手が不器用、手が器用に動いても頭が良くない人は良い料理人とはいえない」
 それでは「優れたシェフとは?」
 「自分の考えていることを他人を使って表現できる人だろう」
 という答えが返ってきた。
 そしていつだったか彼の完璧主義について尋ねたことがあった。
 「料理に完璧というのはあり得ないんだが、いつでもそれを目指そう、近づこうとするのが料理人の良心なんじゃないか。仕事で何かを変えるというのは、内容を改善し、質を上げるためなのだ。そのために、毎日の仕事の再点検を怠ってはならない。いつか完璧という料理を生み出したかったらね」
 それでは自分のつくる料理に満足したことがない?
 「そう。二十代から“完璧”という概念に取り付かれて仕事をしてきた。四十代になって、頭も手も思う存分に動いて、いよいよ完璧な料理が作れるかなと思った瞬間、“完璧”はどんどん遠のいていってしまったよ」
・・・

2.p.104(イタリア・ミラノのこの道30年のエスプレッソ名人とのやり取り。初めて飲んだときに比べ2回目の方は若干感動が薄かった。そのことを話したところ、名人が午後にもう一度来いというので行ったら、今度は非常にすばらしいものだった。このエピソードから、その名人について)
・・・
 私は、かれの仕事ぶりを見ながら、こんなことを思ったものだ。かれは、自分の仕事をけっして労働とは考えていない。たった一杯100円のエスプレッソをサーヴィスするその仕事に、誇りと情熱を持ち続けているのだと。
・・・

3.pp.114-116(著者と著者の娘さんがモーツァルトのオペラ「魔笛」を見に行ったときのエピソード。娘さんには小さいときから魔笛のビデオを子供用ビデオとして見せていたとのこと。で、実際のオペラを見せると、娘さんは夜の女王のコロラトゥーラのアリアを口ずさんでいた。このことを受けて)
・・・
 「習うより慣れろ」と昔の人はよくぞ言ったものだ感心しきり・・・・
 ・・・
 暗誦や単なる語呂合わせの暗記には、なぜどうしての「理屈」はいらない。私たちは久しく暗誦、暗記を忘れてしまっているが、耳が覚える音楽というのもこれと同じで、繰り返しの慣れから親しみが沸いてくるのだ。はじめから、つまり慣れてもいないうちから、理屈をつけて解ろうとすると、音楽にも芝居にも近づけない。つまり、名曲、名作には繰り返しに耐えるだけの力があるということにほかならず、それに接近する手段は、夜の女王の首飾りの一件のように、正攻法でなくともなんでもよいのである。そして、優れた歌唱、演奏だったら言うことはない。そのきっかけを作るときだけは、やはり水先案内人が必要ではなかろうか。
・・・

4.p.161(イチローに関する話から、職人というものについて)
・・・
 職人は、昨日も今日も明日も同じ仕事を繰り返す。しかし、繰り返し同じことをしているわけではない。
 その世界に飛び込んだばかりの新米の小僧は、親方、先輩の圧倒的なスピードの手さばきによる仕事の質の高さと量の豊かさを目の当たりにし、そこで一日でも早く到達したいものだという思いで、夢中になって手を動かし身体を使いながら仕事を覚えてゆく。
 繰り返しの中で手が馴れてゆくと、頭で手順を考える前に手が動くようになるから、同じ仕事をしているにもかかわらず、身体が疲れなくなってくる。例えば、ひとつのことを成し遂げるのに、1、2,3,4,5の手順を必要としていたのに、それが1,3,5で達成できるようになるのだ。身体が楽になると、今度は脳が手に6,7・・・・・・の仕事を探すように指令を出す。このとき、新米に向上心が芽生え、職人の志というのが始めて生まれるのである。
 目指すは、仕事を簡潔に遂行するための理想のフォーム、「型」の完成である。この理想のフォームを長い修練の果てにつかむことができた職人を人々は「名人」と呼び、それを驚くべきスピードで手に入れてしまった職人を「天才」と言うのではなかろうか。
 だから「型」は無駄がなく、美しい。
 この職人、言いかえればプロフェッショナルは、なにも大工さんや板前さんに限らない。舞台上にもスタジアムの中にもいるのだ。

5.p.194(93歳という高齢ながら現役のすし職人さんの話で、明治生まれのその職人さんの言葉)
・・・
 あたしは、十二歳でこの世界に入ったン。そこでまず教えられたのが、挨拶と言葉遣いと掃除でね。これが、職人というより、人間の基本だぞってね。
 ・・・
 「無理に生きてるってわけじゃない。自然に生きているんだ。こうしてね、仕事しているのが何よりうれ嬉しいやね。
  人間ですからね、朝起きてたまに気が乗らないときや、身体がいうこときかないってときもあるけど、100歳になってすし握ってみたいねェ。・・・
・・・